松崎町 郷土の先覚者たち

公開日 2021年11月22日

 松崎地区
氏 名   説 明
依田 善六 18501920 事業の利益を社会に還元し産業振興。 晩成社初代社長
依田 善吾 1861-1922 晩成社役員として帯広で活躍。勉三の弟、松崎水力発電所社長。
入江 長八 18151889 漆喰鏝絵の名人、左官の神様
本多 正観 17821845 松崎に藺草栽培、畳表製造を導入。浄感寺住職、土屋三余の師
近藤 平三郎 18771963 世界的なアルカロイド研究、文化勲章受章、薬学博士。
石田 半兵衛(邦秀) 1801-1871 江戸時代後期の堂宮彫刻師
小沢 一仙 18301868 石田半兵衛の子。彫刻師、勤王の志士
石田 房吉 1853-1916 西豆漁業組合を組織
石田 礼助 18861978 三井物産の総帥から戦後は国鉄総裁に。石田房吉の子
稲葉 半七 1823-1903 漁場「銭洲」の発見者
中川地区
氏 名   説 明
土屋 三余 18151866 幕末の漢学者。
依田 佐二平 18461924 豆陽学校、松崎まゆなど教育、産業を振興
依田 勉三 18531925 北海道十勝開拓の先駆者
岩科地区
氏 名   説 明
佐藤 源吉 18291914 明治初期の岩科村戸長、牧場開設、学校建設。葉連の大屋の先祖。
渡辺 平四郎 18681931 樟脳製造、青野・高根の鉱山経営
鈴木 忠兵衛 1842-1923 岩科村二代村長、教育推進者
山口 春岳 1867-1938 永禅寺住職
三浦地区
氏 名   説 明
鈴木 真一 18341918 貴重な伊豆の記録写真。岩地の文佐(高橋家)の出身
齋藤 定蔵 1861-1921 南鳥島の発見者
斉藤 重蔵 1781-1845 江戸時代後期に豊後国岡藩(大分県竹田市)で椎茸栽培を指導。
松本 仙蔵 1854-1922 県漁業組合取締所議員
高橋 亘 1886-1970 丸高水産創立、甘夏柑研究。岩地の村津屋の出身
高橋 郁郎 18921981 柑橘の父。戦中、食糧増産のためのミカン園伐採に抵抗
町外
氏 名   説 明
堤 達男 19181988 西伊豆町出身の彫刻家