公開日 2019年01月05日
依田善吾は文久元年に依田佐二平の4弟に生まれ、勉三兄より8歳年下で、幼名を久良之助といった。明治5年(1872年)江奈村の謹申学舎に兄勉三と共に学び、勉三20歳、久良之助12歳の時である。
のち、浜店(山光荘)依田家の4代を継ぎ、善吾を襲名した。
明治15年帯広開拓晩成社副社長に就任し、移民団募集に協力した。明治26年勉三が松崎に帰省し、善吾に開拓事業の協力を求めて渡道を促したが、当時手広く材木商を営み決心がつきかね、この時の勉三日記に、「4月29日山久隠居にて善吾北行を謀る。晩刻善吾来たりて談合するも決せず。遂にくじを引く。そのくじに曰く。夫婦共に決行すべし」とあり、善吾夫妻はついに渡道した。
善吾は、帯広に15馬力の蒸気機関を備えた綜合加工場〇成工場を設立し、木材挽割、製粉、馬鈴薯澱粉製造、亜麻製綿に着手し、従業員15名で工場の昼を告げる汽笛は街の人々の心に残った。
更に下帯広村から総代(村会議員)に選ばれ、公共面にも活躍したが明治35年(1902年)帰郷した。大正9年、依田善六(ぬりや)が没すると、松崎水力電気株式会社2代社長に就任したが、大正11年(1922年)62歳で没した。兄勉三に協力し、10ケ年帯広建設のため活躍した。
参考文献
- 町制施行100周年記念誌 郷土の先覚者たち(平成13年2月 松崎町発行)
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