石田房吉

公開日 2019年01月22日

大下19代

18代石田重一の長男として、嘉永6年(1853年)12月10日、伊豆国江奈村(現松崎町)に生まれる。伊豆の遠洋漁業振興功労者。父重一は江奈村戸長をつとめ、「江南黌(こうなんこう)」の管理者でもあった。石田家は小田原北条依頼の旧家で、社や寺も創建した。天保10年(1839年)勝海舟の学友、土屋三余が開設した「三余塾」に入門、さらに「謹申学舎」で学び、明治6年(1873年)「江南黌(こうなんこう)」の三等受業生(教師)をつとめ、明治13年有志と江奈・宮ケ原間の道路を開き、明治14年江奈村戸長に就任し、漁業振興を念頭として、明治19年有志と西豆漁業組合を創設し、組合長に就任、13年間務めた。当時、地元の遠洋漁業者と伊豆七島島民の間に争いが絶えず、これを憂い、永年にわたり数回、伊豆七島に赴き、苦心の末、和親条約を結び、加えて通漁と水産加工の規約も締結し、漁民は安心して出漁ができた。当時の条約書の内容は、現在も静岡県水産誌に詳細に記録されている。また、改良アグリ網でカツオの飼料(イワシ)を豊富にした。明治30年水産博覧会で伊豆七島漁業開拓の功労賞を受賞する等、その功績は誠に顕著である。

また、明治32年3月郡制が施行され、明治36年9月30日に郡会議員に当選していることもあってか、沼津選出で帝国議会議員、のちに貴族院議員となった江原素六と親しく、政治好きでもあった。

妻のゐちは、北海道十勝の開拓者としても名高い依田勉三一族で84歳没。本人は大正5年(1916年)63歳で世を去る。戒名は、盛徳軒本覚道光居士、墓所は江奈の禅海寺。二男は元国鉄20代総裁の石田禮助。

 

 参考文献

  • 町制施行100周年記念誌 郷土の先覚者たち(平成13年2月 松崎町発行)

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