稲葉半七

公開日 2019年01月08日

稲葉半七は、文政6年(1823年)3月江奈浜石川家に生まれ、弁天町の稲葉家(現半七丸)を継ぎ家業の漁業に従事した。体躯頑強で眼光は冴え、雲を仰ぎ見、潮流を見渡して天候を当て、更に漁獲の多少まで知って百に一つの違いもなかったと。

船の操縦にも優れ、転覆しそうな激浪の中でも平然として船を自在に操った。特に視力に優れ、数里離れた波間に魚のはねるのを見て仲間に知らせ、大漁をすることが出来て喜ばれた。

半七は明治28年(1895年)73歳の時、伊豆神津島の西南8里の処にある銭洲ノ瀬を探査して、鰹の群集していることを発見し、これを漁民に知らせたが、この新漁場の発見で、漁民は好漁場を得て漁獲量は増大する結果となった。半七は明治36年8月15日81歳で没したが、禅海寺過去帳に「海功永勲上座」とあり、「伊豆南島銭洲探見者故ニ上座号ヲ謚」と付記されている。半七は生来義を好み、威と愛を以て接し多くの漁民を導いた。明治39年2月、江奈浜漁業組組合は半七の功を賞して県内有志に呼びかけて、壱千円を集め巨鯛島(弁天島)の入口に顕彰碑を建立した。篆額は当時の水産局長牧朴真、碑文は明治に活躍した劇作家依田百川、書は禅海寺神山義容である。

顕彰碑
P1080489

 

参考文献

  • 町制施行100周年記念誌 郷土の先覚者たち(平成13年2月 松崎町発行)

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