依田佐二平

公開日 2016年02月03日

松崎の産業,農業,海運,教育に多大の貢献をした実業家


北海道〝十勝開拓〟の先駆者となった弟の「依田勉三」、兄弟の恩師である漢学者「土屋三余」と共に、〝三聖〟と称される。

弘化3年1676)2月10日、那賀郡大沢村(現在の松崎町大沢)の名門「依田家」に、第10代善右衛門の長男として生まれた。幼名は清二郎。
嘉永4年(1854)5才にして土屋三余の門に入り、17才の時江戸に出て学ぶ。

20才で大沢村の名主に
 



しかし2年後、父の善右衛門が亡くなったため帰郷し、家督をつぎ第11代の主となり、その翌年には大沢村名主となった。佐二平と改名したのもこの時から。その後も数度に渡り名主を務めた。

元治元年(1864)大沢塾を設け、儒学者を招いて教育事業に乗り出す。
明治6年(1873)には、那賀全郡を含む足柄県第11小区長に推され、8年には同県会議員、さらに伊豆4郡会長に選ばれた。

産業振興のため養蚕業の近代化をはかろうと、親族の子女を集めて上州富岡(群馬県)の製糸場に派遣。新しい製糸技術を習わせた上で、試験的に工場を作り、後に大沢村に「松崎製糸場」を設けて、品質改善と生産能率の向上を成し遂げた。
松崎の早場繭相場が各地の繭価の標準となりえたのも、その成果である。

明治11年には静岡県議会議員,翌年賀茂・那賀郡長に選ばれ、豆陽学校を設立したが、14年病気のため辞任して製糸業に専念。

海運振興を目指して豆海汽船会社を作り、その社長となった。

23年帝国議会開設と同時に初の衆議院議員となったほか、生糸製造同業組合長,全国実業団体中央会委員,大日本蚕糸会静岡支会副会長など多くの要職に就く。

 

輝かしい業績の数々

とりわけ蚕糸業界における功績は大きく、25年に緑綬褒章、40年に福岡県で開催された大日本蚕糸会総会に出品した製糸で金牌,アメリカのセントルイス博覧会で銀牌,同アラスカ・ユーコン太平洋万国博覧会で金牌,日英博覧会でも金牌,イタリー万国博覧会では名誉褒状を受賞した。

そのほか北海道開拓のため晩成社を設立。
勉三,善吾,文三郎ら弟たちを十勝に移住させ、半世紀にわたって困難な開拓事業と取り組み、依田家を築いたのも不滅の功績というほかはない。
字を源貴徳といい、愛兵あるいは石泉堂と号した。大正13年(1924)10月15日歿、同日正7位に叙せられた。

銅像(道の駅花の三聖苑内) 頌徳碑(道の駅花の三聖苑内)
銅像 頌徳碑
三聖の碑(道の駅花の三聖苑内) 大沢河畔にある石像              
三聖の碑 石像

 

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