松崎に残る頼朝伝説

公開日 2021年02月24日

文覚会見の相生堂

 相生堂跡

頼朝伊那上神社参詣と社殿寄進

宮内の伊那上神社神官金指家の過去帳に、「承安3年(1173)源頼朝公御参詣大明神」とあり、頼朝27歳の時にあたる。伊那上は往昔三島宮、三島大明神とも称されていた。

のち建久3年(1192)頼朝が征夷大将軍に任ぜられ鎌倉幕府を開くと、かつて源氏再興を祈願した伊那上神社に社田を寄進した。以来伊那上神社は将軍家の尊信を深くし、神地500石を領して宮殿は宏壮、末社80有余を有する西豆第一の宮になったという。

岩地のかいもり段

源頼朝は、源氏の再興のため雲見浅間神社に参詣の帰途、岩地の大峯段中腹でお粥を炊いて食べたという伝説が残っています。その所を「粥盛り(かいもり)段」と呼んでいます。

「三浦風土志」

雲見の頼朝のかくれ穴

雲見浅間神社の本社殿をやや下ったところに頼朝の隠れたという岩穴があります。

 

頼朝の足跡

頼朝が伊豆へ流罪になったとき、池代にも来たと言われる。銚子ケ窪のお寺の山々には馬の足跡や、頼朝が馬から降りるとき金石の上に降りたためついたと言われる足跡が残っているとか。

「私の想い出」

 朝のお茶

朝のお茶は必ず飲むもんだってね。頼朝が追われてさ、一軒の家へ入ったら、「お茶をあがんなさい」ってお茶をよばれていたばっかしに、追っ手が家の前を素通りして、逃げたって。近所の人が来てお茶を飲んでると思ってね、見過ごして命拾いした。それで朝のお茶は戻っても飲むもんだって。それで、一杯は飲むもんじゃないってね。必ず二杯飲むもんだって。

(野田)

朝のくもは殺すな

頼朝さんが、敵に追われて来たときに、茶屋のお婆さんが、朝、お茶をくんだって。お茶をよばれて、「おみおつけを飲んでけ」ってって、おみおつけくれたって。そいで、じっとってうられないですら、敵が追いついてくるがだから。逃げたれば、ちょうど穴があったですって。はあ、逃げきれないから、その穴へ隠ねたですって。そうしたら、朝、くもが巣作ったって。そこを敵が追うて来たところが、「これ、くもの巣があるようじゃここへは入んない」そういって、通ってまったって。そのおかげに助かったから、朝のくもは殺すな。朝は、おみおつけを飲むもんだ。

(明伏)

 

 参考文献

松崎町史資料編 第4集 民俗編(下巻)   発行:松崎町教育委員会