公開日 2022年01月28日
大沢地区の山神社の裏の高さ40m程の東西に長い小山が大沢砦跡である。大正2年道路開削以前は東側のあがね山と連なっていた。
山の頂上の西端に東南西三方に土塁を廻した曲輪が見られ、土塁は南と西によく残り、曲輪の西に幅2m、高さ1.5m程の堀切がある。砦の北側直下は池代川、南は明伏川が流れ自然の防塞をなしている。
砦はこの両川に挟まれた高台を利用し、空堀を掘った上で土塁を築いた室町時代の小規模砦である。
豆州志稿に「大沢村ノ山上に空隍(空掘り)在ス、山下ヲ屋型ト云。何人ノ居住セシカ伝ハラズ」とあり、現在「館」の地名も残っているが、館の主は伝承もない。
土地の伝えに峰輪の岩城に寄った軍勢と戦った時の矢の跡が残ったことから矢形の地名があるとも古老が言う。天正18年豊臣水軍が松崎に上陸し、婆沙羅越えで下田に進撃する途中、大沢砦に立て籠る軍勢を打ち破るべく岩城から攻撃した時の伝承と思われる。
曲輪:建物が建てられていた平らな場所
空堀:城を守るために郭の周りや前面の土を掘って造られた、外側と連絡できないように断ち切った水のない堀のこと
土塁:土を盛って造った土手
堀切:城に続く尾根続きの道を断ち切り、尾根づたいに攻めてくる敵を足止めさせる場所
堀切 | 山頂の曲輪 |
土塁 | 土塁に残る空石積 |
参考文献
松崎の歴史(平成5年5月 著者:清水真澄)
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