婆娑羅の親捨(民話)

公開日 2021年03月08日

下田と松崎を分ける婆娑羅峠 、そこのふもとの村には、むかし、親を捨てるならわしがありました。

年をとって働けなくなった老人は、じゃまだから死んでもらおう、との考えからでてきたものでした。

老人の中にも、家族に遠慮して、自分から、「山に行きたい。」 と申し出る者さえあったと言います。

松崎寄りのふもとにある小杉原の百姓 、与作の父は、若いときはたいへんな働き者でした。

しかし、寄る年波には勝てず、七十を越えると、目に見えて体がおとろえ、働くことができなくなりました。

若いころ精出した人に限って、おとろえは 早くくるようです。

与作の父は、自分のなすべきことは、おわったと思ったのでしょうか。

ある秋の夕暮れ、ひとりもの思いにふけっておりましたが、せがれの与作を呼んでこう言いました。

「なあ、与作よ、おれを山につれてってくれないか。もうおれは、じゅうぶん働いた。これ以上この家にいて、みんなのやっかいになるのは心苦しい。たのむ。」

その顔には、やすらぎの表情さえ浮かんでいました。

与作は、自分の父を捨てる日の来たことを悲しくは思いましたが、村のならわしでもあり、父が自分から申し出たこともあって、いくらか気持ちは楽でした。

与作は、父をかごに入れて背負い、息子を共につれて山に登のぼりました。背中の父は、せがれに言うとも孫に言うともなくつぶやきました。

「わしはもう、思い残すことは何なにもない、親孝行のせがれと、やさしい嫁と、かわいい孫に囲まれてな。日本一のしあわせもんじゃった。」

婆娑羅に着いた与作は、静かにかごをおろしました。これで父とも、永久の別れです。連れてきたものの、このまま一人父を山に残すつらさを、痛いほど味わいました。いつまでいてもきりがないと思った与作は、父に言いました。

「お父っつあん、もうおれは家に帰る。静かな往生を祈っているよ。」

与作は息子の手をひいて、さっさと下りました。つらさから一刻も早くのがれたかったのです。

が、息子は父の手をふりきって、

「おれ、あの背負いかご、持ってくる。あれは、おれを大事に育ててくれたじいちゃんをしょってきたかごだ。うまいものは、必ず半分にしておれに分わけてくれた。やさしいじいちゃんを入いれたかごだ。あのまま捨てるわけにはいかないよ。それに、それに・・・・もっとたったら、あれでおれが、父ちゃんを捨てにこなけりゃならないもんなあ・・・・。」

と言いい、父の捨てたかごをとりに夢中でかけ上あがっていきました。

このことばを聞き、与作ははっとしました。

(やがてあれで、あのかごで自分がこのせがれに背負われて捨てられる。)

与作は今まで、この村のならわしに何の疑いもなく従ってきました。 親は年をとれば捨てられるものだ。代々そうやってきたのだから・・・・と。

悲しみはあっても、あきらめの方が強く、それを当たり前のことと思っていたのです。  だが、今むすこの言葉ではっとしました。

(そうだ、まちがっている。あのやさしい父を、年をとったからといって捨ててきたなんて。またおれも、やがてはこのようになるのだ・・・・・。)

息子は、親父を捨てる与作のあとをついてきながら、遠い いつの日か、自分が父を捨てねばならぬ悲しみを、この小さい胸に刻み込んでいたのです。

与作は息子の心をさとりました。急いでふたたび山へ登り、父のもとへひざまついて、

「お父っつあん、俺が悪かった。お父っつあんを捨てるなんて・・・・おれは、ばかだった。許してくれ。」

それからすぐに父親をかごに入れ、息子といっしょに山をくだりました。山には月が、さえわたっていました。

ふもとの村は寝静まっているころでした。

かごの中の父は何も言わず、静かな笑みをたたえて いるだけでした。