公開日 2021年02月25日
所在
松崎町船田39
宗派
臨済宗建長寺派
創建
正安3年(1301年)
本尊
観世音菩薩坐像
安置仏像
大権修理菩薩倚像 達磨大師倚像 釈迦如来坐像 釈迦如来立像 弁財天坐像 地蔵菩薩立像 弘法大師坐像 弥勒菩薩坐像 弘法大師坐像
沿 革
総門をくぐると目通り5.5メートル、樹齢300年といわれるツガの大木がある。老樹のためか上部が枯れてない。参道は杉木立と古木に覆われ、おのずと襟をただす雰囲気。苔むした階段を登り山門に至ると、そこに伊豆南部第一の名刹といわれる帰一寺の伽藍が開かれる。
帰一寺は、元の名僧一山一寧の開山。一山は成宗の命で日本の鎌倉に使徒として来たが、時の執権北条貞時に疑われ、正安元年(1299年)伊豆の修禅寺に幽閉された。その際、船田に来て一庵を創設したものという。
初めは帰一庵といい、数代は公家の帰依僧が来住した。そのため当時は寺領を数多く持っていたという。本尊は行基の作と伝えられる観世音菩薩である。
下って天文年間(1532年~1554年)、小田原の北条氏より寺領70石の虎判、並びに禁制札、下馬札を下付されたが度々の火災ですべてを焼失した。
江戸時代には、一山国師開基の由緒ある寺であり、また、50か寺の中本山であることから、慶安元年(1648年)8月、徳川家光より船田村に20石、併せて寺内の竹木その他諸役の免除の御朱印を受けた。そして、15代家茂まで代々拝受して、明治維新の際新政府に返納した。
寺の盛時に、50か寺を数えた末寺は、その後長い間に統廃合したが江戸時代末期に、まだ24か寺を有したという。近隣にあった塔頭だけ挙げても小杉原の大地庵、峰輪の法輪寺、大沢の玉林寺、明伏の光珠庵、船田の徳運庵、吉田の吉田寺、南郷の福源庵、同所の平福寺の8か堂あった。
境内には、総門、山門、弥勒堂、寮舎、本堂、庫裏、書院、経堂、土蔵、それに戦前までは鐘楼もあったが、戦後維持困難で取り壊してしまった。また、いつの時代まであったのか不明だが、経堂付近の山中に稲荷神社の跡と思われる礎石と参道が残されている。
現在の本堂は弘化5年(1848年)二五世洪宗の代に建立したものである。
経堂は、享保17年(1732年)に建立されたもので、黄檗版の一切経6930巻が中の輪蔵(六角形をした回転する収納庫)に所回って浄財を募り、経文4270巻を寄付した。
堂宇と輪蔵、及び残り2660巻は、大沢村の依田佐次兵衛の寄付、経堂の本尊弁財天は、道部の奈倉惣左衛門の寄贈したものである。
また、経堂の前にかかる扁額(毘廬堂)は、京都東福寺の象海禅師の書である。なお、弁財天坐像は聖徳太子の親作と伝えられている。大工棟梁は、中村(那賀)の馬場弥惣兵衛本光であった。
弥勒菩薩を祀る弥勒堂は、元文元年(1736年)一九世栄道の代の建立で、当時は境内の山腹にあったが火災に遭い、その後参詣者の便を考慮して現在地に移したのである。明治維新の廃堂政策により、廃堂となって、本尊の弥勒菩薩は本堂に安置されていた。
明治24年(1891年)弥勒堂再建の儀がおこり、時二六世万嶽和尚七回忌、二五世洪宗三三回忌に当たり、二七世城山の代に建立したもので、25年1月弥勒仏は20年ぶりに新しい堂に帰ったのである。
現在は、その跡をとどめるのみの鐘楼の梵鐘は以前の鐘がひび割れたため、正徳2年(1712年)一八世陀山の代、庭前に炉を作り、三島川原ヶ谷の冶工沼上忠右衛門尉郡房等によって鋳造された梵鐘である。以来230年余り、朝な夕な余韻を残して遠い山々に消えゆく梵鐘の音を、里人は童の日より翁・媼の歳まで親しんで生きた。
しかし、昭和18年(1943年)1月、太平洋戦争のために供出、地元区民の盛大な見送りの中、寺を去ったのである。時の住職楚山の切々たる思いの詳細な記録が残されている。
現在本堂の軒に懸かる半鐘は、梵鐘と同時に鋳たもので、次のような銘が刻まれている。
豆州那賀郡船田村
冶工 沼上信祐
同姓郡房
万法山帰一禅寺
一八世傳法沙門 現法陀山 記
年中行事
11月25日 開山忌
境内堂宇
総門 山門 庫裏 本堂 弥勒堂 経堂 寮舎 土蔵 書院
歴代住職
開山一山和尚 二世古山和尚 三世水月和尚
四世安山和尚 五世実傳和尚 六世孤峻和尚
七世一陰和尚 八世円陀和尚 九世芳潤和尚
一〇世雲渓和尚 一一世月林和尚 一二世伯麟和尚
一三世梅嶺和尚 一四世竹渓和尚 一五世東岫和尚
一六世払宗和尚 一七世大雄和尚 一八世陀山和尚
一九世栄道和尚 二〇世舜道和尚 二一世寓翁和尚
二二世丘鳳和尚 二三世詔陽和尚 二四世陶邦和尚
二五世洪宗和尚 二六世万嶽和尚 二七世城山和尚
二八世楚山和尚 二九世昌晃和尚 三〇世玄通和尚
寺宝
輪蔵 一山国師自画像 一山国師墨跡
付記
一 境内に槐安国語会記念碑・一山国師由緒碑・日露戦争従軍者名碑がある。
二 二〇世舜道一民は建長寺二〇八世となる。
三 本堂裏の庭園は、伊豆南部における名園と言われている。
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編