長九郎山と石楠花(民話)

公開日 2021年02月22日

天城連山の中に、万二郎、万三郎、長九郎の三つの高い山があります。この山々は兄弟だったと言われます。長男が万二郎、二男が万三郎、長九郎は末の弟だそうです。

この三山が、昔々すぐ近くにいた美しい女山に思いを寄せ、恋争いになり、この女の山は困ってしまいました。そこで女山は三山に言いました。「私はどの山にもお断りすることは出来ません。ですから三つの山が背伸びをしあって、地番高くなった山とお付き合いさせていただきます」と言ったそうです。

そこで三山は、はげしく争い、ついには次男の万三郎が一番背が伸び勝ったのです。しかし、かの美しい女山は、たとえ背は低くとも整ったやさしい姿の若い長九郎が本心一番好きだったのです。

彼女は長九郎に言いました。「私は貴男が好きだったのです。しかし、ああ言った以上、貴男の所へお嫁に行く訳にはいきません。その変わりこの天城では一番美しい石楠花を私の身代わりとして差し上げます。そしてまた、姿見として八丁池と言う鏡をおきますので、これに貴男と私のふたりの姿をうつし、時々はお逢いいたしましょう」と言って、遠く駿河の地へと行ってしまいました。それが今でも美しい姿でそびえている富士山だったのです。

さて、この事を知った万二郎、万三郎に二山の兄たちは、大いに怒り、又くやしがり、弟長九郎を西伊豆の地へ追いやってしましました。

一人寂しく知らぬ地へ去っていく我が子長九郎の姿を見て、父の十郎左エ門(長九郎の東側にある山)は不憫に思い、長九郎の後を追い、この地へと来たということです。

しかし、遠く離れ離れになってしまった長九郎と富士は、影も姿も見ることが出来ません。それは長九郎と富士の間には万太郎(ダルマ山)が高くそびえ、又せっかく富士が自分が去った後に残して行った八丁池という鏡は、父の十郎左エ門や他の山々に遮られ、どこからもあの恋しい恋しい富士の姿は見られないのです。

それに気付いた父の十郎左エ門は、我が身をけずって八丁池を見せようと努力しました。が、思うようにならず、ついに万太郎にお願いして座ってもらい、背を低くしてもらいました。それから万太郎はダルマ山と呼ばれるようになったと伝えられているのです。

こういうことで、めでたく長九郎と富士は、晴れた日にはお互いに姿を見せ合って過ごせる事になったのです。

現在は、長九郎の山頂からは、富士を始め天城の連山が何事もなかったように、穏やかな姿で一望出来るのです。その中に我が子を思い、身をけずり、背の低くなった父の十郎左エ門が三角形にやせとがった姿で、人目に付かぬように身をひそめているのです。長九郎のかげにそっと寄り添ってたたずんでいる姿は、我が子を思う親心が切々と偲ばれます。

毎年、5月20日頃から末日あたりにかけて、長い歳月生き抜いてきた大木に、富士の形見の石楠花が淡紅色の花を見事に咲かせ、山を訪れる人々の心を和ませてくれます。