公開日 2021年02月17日
所在
松崎町吉田110
宗派
臨済宗建長寺派(帰一寺末)
創建
文保2年(1318年)再興
本尊
阿弥陀如来坐像 観世音菩薩立像 地蔵菩薩立像
安置仏像
毘沙門天立像
沿革
吉田の奥、本山帰一寺と小山を挟んで背中合わせに寺がある。帰一寺の塔頭で、寺名の吉田寺は地元の村名を付けたものである。
鎌倉時代、北条政子が吾が子頼家の菩薩を弔うため、仏師運慶に七仏を造らせ当寺を創建して安置したと伝えられるが、鎌倉時代の末(文保2年)帰一寺の三世水月が再興したもので、そのため水月が当山の開基となっている。
明和5年(1768年)の本山への報告に
豆州那賀郡吉田村 安養山吉田寺
一 寺中七畝ト御除地
一 御除地弐反ト建久寺村之内荒地也
一 御除地弐反ト吉田村之内荒地也
一 本阿弥陀如来並観音地蔵三躰 古仏也
一 中興開基水月首座並前住之牌等 外に什具無之
古仏なりと言われた本尊、阿弥陀如来と観世音菩薩、地蔵菩薩の三躰は町の文化財に指定され、永久保存のため、本尊阿弥陀如来の解体修理を終わり、他の二躰も修理中である。
本堂兼庫裏は、戦後まであったが茅葺きのため維持困難となり、昭和40年(1965年)頃取り壊されて、現在の簡単な覆い堂だけとなった。
長い間、崖崩れのため土中に埋没していた寺守僧の墓が、平成4年(1992年)区民の手で掘り出され昔の姿にかえった。その数6~7基、中に中興・再中興の墓が見え、その内容を知る記録はないが当時発展のため尽くした僧であろう。
当時中興齢□寿公首座 寛文三卯霜月念八月(1663年)
再中興関禅種定首座 宝暦十一巳天十二月十六日(1761年)
静かな境内、昔を物語る事物は、境内入り口の桜の古木と、その下に立つ文化十一年(1814年)と刻まれた三界万霊塔、向かいに並ぶ文化二年(1805年)建立の六地蔵のみである。
境内堂宇
覆堂
歴代住職
塔頭のため堂守僧が寄留程度
寺宝
阿弥陀如来坐像 観世音菩薩立像 地蔵菩薩立像
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編