公開日 2021年02月08日
婆沙羅山は、松崎町と下田市の境にある標高608.4mの山です。山頂には、三等三角点が設置され、静岡の百山(静岡百山研究会編集、㈲明文出版社発行)の一つに選定されています。
伊豆を南北に分けて万三郎岳から達磨山に延びるU字形の天城山稜、その南に派生する猿山-長九郎山-婆沙羅山と続く支脈を、婆沙羅山脈と呼びます。婆沙羅山は南伊豆の名峰として、古くから知られていたようです。山名は弘法大師の婆沙羅経に由来しています。
婆沙羅山は、その昔弘法大師が婆沙羅三摩耶を修した霊場で仏法有縁の地として知られ、「婆沙羅山」の名もそれから出ています。婆沙羅山の中腹の寺壇という地に堂が建てられて、高野山の末寺であったといわれます。急峻でかつ不便でもあるため、応永3年(1396)6月僧哲叟が鎮守の森に伽藍を再建しました。これが加増野の婆沙羅報本寺です。
野口雨情の童謡碑
天城の山が足出して
婆沙羅山脈こしらえた
天城の山の出した足
てっこぶたっこぶ
こぶだらけ
なんともユーモラスなこの童謡は、昭和5年7月5日から3日間にわたって、松崎とその周辺へ講演のため招かれた詩人・野口雨情が、天城を経て下田と松崎との境界にあたる婆沙羅峠を越えたときに、山のかたちのおもしろさを即興でまとめたものだといわれています。
この歌は松崎実科女学校(現在の松崎高校)の講師をしていた佐藤伝氏が作曲して、生徒や住民の間に広まり、ずっと歌いつがれてきました。また調査の結果、このほかにも雨情の未発表作品が残されていたことがわかって、大きな反響を呼びました。(「話題のサロン」野口雨情の未発表作品)
松崎町観光協会では、それまで埋もれていたこの童謡を碑に刻んで、より多くの人々に親しんでもらおうと町にはかり、約100万円をかけて昭和59年7月、歌のモチーフとなった婆沙羅峠に碑を建立しました。高さ1.2m、幅2mの自然石には、松崎町在住の書家・佐藤公平氏の筆跡で童謡が刻まれており、作詞から55年を経てようやく陽の目を見ることになりました。
参考文献:伊豆まつざき小辞典(昭和60年11月1日 伊豆まつざき小辞典刊行会発行)
山頂へのルート
山頂への遊歩道は整備されていません。山頂へのルートについては、トンネル西側手前から西伊豆貨物自動車の産業廃棄物の中間処理場の方に進み、旧トンネルの100m位手前には歩道入口があり、そこから旧トンネル上の尾根まで進み、そこから尾根伝いに山頂まで登っていくルートが一般的です。現在の山頂は樹木に覆われ、展望はありません。
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下田松崎線(県道15号)
小杉原・加増野間の道路の開通は、明治36年(1903)頃とされています。明治41年(1908)4月に婆沙羅山トンネルの開通によって、下田方面から西海岸への経済や文化の交流に大きく寄与しました。
昭和45年7月27日、新トンネル(婆沙羅トンネル)が供用開始され、交通の円滑化が図られました。
参考文献:松崎町史資料編 第4集 民俗編(上巻)松崎町教育委員会 平成14年3月発行
今も残る旧トンネル
旧婆沙羅峠
旧婆沙羅峠には茶屋があったと言われ、小屋の柱を支えていた束石だったと思われる「亀石」や手水鉢、地蔵大菩薩塔などの遺構が残っています。加増野側の大岩の下には、峠を越える馬がここで水を飲むために動かなくなったという「駒止めの岩」も見られます。
亀石 | 手水鉢 |
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駒止めの岩 | 地蔵大菩薩塔 |
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