愛宕堂

公開日 2020年12月08日

愛宕堂

所在

松崎町大沢338

創建

元禄年間初期(推定1690年頃)

本尊

勝軍地蔵

安置仏像

一四躰余(像名等不詳)

 沿革

大沢の那賀川橋手前を右に入ったところにある玉林寺の裏山の中腹に、大沢の集落を一望するよう祀られている。

堂脇の由来記は次のごとくである。

「本社の祭神は東京の愛宕山を勧請した。愛宕権現の本地仏は勝軍地蔵という火除けの守護神である。今から290余年前、氏神の裏山の地に堂宇を建立し大沢村の火災の守護神として祀った。明治5年廃堂令施行に当り大沢の愛宕山も堂を取壊し本尊は玉林寺の須弥檀の一部に祀った。明治26年玉林寺裏の現在地に上屋を造り内殿と共に本尊を遷した。

縁日は明治26年以降再建遷御の日の4月2日と定めた。

昭和60年4月大沢区

愛宕信仰の祭神は火の神といわれるが、はやくから神仏習合をとげている。古代信仰では村境に「サイの神」をまつって、疫病や魔神の侵入を防ごうとした。この神と地蔵が習合して愛宕権現の本地仏(仏が神となって現われる)勝軍地蔵となって、愛宕信仰の根幹となっている。

元禄以降、明治5年(1872年)まで祀られていたところは、大沢の氏神、山神社の裏山で、今も愛宕山または堂山とよばれている。

明治26年(1893年)の再建にあたり、身縁山の仏師、池上竹次郎、藤原信行によって、本尊の彩色が施され、その後、年月を経て破損が甚だしくなったので、昭和28年(1953年)西伊豆町の彫刻家堤達男氏によって、修理彩色が施された。

昭和28年に再建60周年記念祭典が挙行された。

 年中行事

縁日 4月2日

昔は本尊勧請元の愛宕山の大祭日の中日、9月23日の、月おくれの10月23日を縁日としていた。再建以降は遷御の日の4月2日に改めた。

境内堂宇

覆堂

 付記

次の様な事柄から、堂に区分することが適当であろう。

一 豆州志稿、(寛政12年1800年刊行)に、大沢の愛宕堂と記されている。

二 東京愛宕神社の祭神は、火産霊神、罔象姫命(水神)、日本武尊、大山津見神である。

三 廃堂令により、廃堂したこと。神社であれば廃堂ということはありえない。

四 勝軍地蔵を本尊と呼び、廃堂後も玉林寺に祀っていたこと。

参考文献

松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編

 

説明板