公開日 2020年12月07日
所在
松崎町雲見386-1
祭神
磐長姫命(いわながひめのみこと)
由緒
駿河湾に面した各地から遠望でき、会場に屹立している烏帽子山(海抜162メートル)、その岩山の頂に鎮座している。社の傍に立つと、伊豆西海岸から富士山や久能山、更には御前崎方面、遠くは南アルプスに連なる県北の山並みまで一望のもとであり、眼下には太平洋につづく荒波が白い波頭をあげている。また麓から五百数十段の急峻の階段を登りつめたところ、山の中腹のあたりに、わずかな平地を確保して女宮がある。以前は女性の登拝はこの女宮までで、その上は禁じられていた。
本社は、伊豆国神階帳の「従四立上、石戸の明神」とされている。この「石戸」の名は、烏帽子山の南の千貫門を当初の石門とみたてたことによると考えられている。
創立年月日は詳かでないが、上古烏帽子山を祀ったのを後に磐長姫命に当てたといわれ、又かつて後北條氏に仕えた武将であり、上の山城主であった高橋丹波家の鎮守といわれている。神職は代々にわたって丹波守の子孫が勤めて現在に至っている。
古くから、山の頂に立って富士山の話、まして秀峰富士の美しさを賛えるとふり落とされるとして戒められてきた。容貌のすぐれない磐長姫命と美しい富士浅間社の木花開耶姫命姉妹の嫉妬伝説は、平田篤胤の筆者や本居宣長の「古事記伝」にも書かれているが、富士山と烏帽子山は天気常に晴雲を異にする気象からの伝説とされている。本社殿をやや下ったところに頼朝のかくれたという岩穴があり、またその上は磐長姫命が父大山祀命との別れを惜しんで立った所であるという伝説もある。
古くから漁の神として漁民の間で広く信仰を集め、沖を通る時は浅間山が見えると、鉢巻きをとり、鰹漁の時はそのホシ(心臓)を供え「ツイ」と唱えて礼拝したという。また磐長姫命にあやかり、長生き信仰も厚く、昔から毎月一日、15日には近隣から参拝に訪れる人も多かった。
現社殿は天保12年(1841年)の造立で、立派な神社彫刻がある。この前回文化2年(1805年)の棟札に彫工石田半兵衛が記されているが、この時には名がみえない。文化2年の彫刻を活用したのであろうか。
例祭日
7月16日
例祭日と関連行事
7月1日に山開きの幟立て、8日中祭りの幟立て、16日大祭で演芸大会、17日後祭り等を行う。
殿宇
拝殿 平成元年(1989年)7月 造立
覆殿 大正2年(1913年)8月1日 造立
本殿 天保12年(1841年)4月7日 造立
女宮 昭和3年(1928年)12月31日 造立
棟札
本社
一 明暦3年(1657年)3月 本殿新造
二 延宝5年(1677年)2月 本殿上葺
三 寛保2年(1742年)3月 本殿造建
四 天明3年(1783年)4月 本殿造立
五 文化2年(1805年)12月1日 本殿鎮座(2枚)
六 天保12年(1841年)4月7日 本殿再立
七 大正2年(1913年)8月1日 本殿雨覆竣功
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編
参道入口の鳥居 | 拝殿に続く130段の階段 |
中之宮に続く320段の階段 | 中之宮からの眺望 |
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