諸石神社

公開日 2020年12月04日

外観

 

所在

松崎町岩地364

祭神

高皇産霊神

由緒

創建は永禄元年(1558年)と伝えられ、岩地村の氏神で「梵天さん」(梵天祠)とも呼ばれ、また両石神社ともいう。

岩地の浜の中央に大きな平面の岩があり、潮が満ちれば水中に、干潮のときは姿を現わす。両磯とか氏神さんの石とも呼び、諸石神社の御神体ともいうべき梵天(幣束)が天下った岩で、里人がこの梵天を拾って、梵天祠を建て祀ったという伝えがある。10月28日の例祭が終ると吹きはじめる西風を梵天西という、神はこの梵天西とともにこの里に舞い降りたものであろう。

神社は、室町末期永禄元年(1558年)岩地村開発の人斉藤治郎左衛門尉(斉藤の門葉・藤原朝臣重家の従)を祖先とする斉藤一族が奉祀したといわれ、土地の産土神として信仰されてきた。

豆州志稿には、祭神不詳、日月の二神也と記されている。これは現存する最古の寛永4年(1627年)の棟札に「奉造立本寺日月云云」とあることによるもので、神仏習合の名残りをしめしている。古老によると、谷地川上流に奥の院または「お滝さん」と呼ばれるところがあったという。これも習合に関係するかも知れない。

明治6年(1873年)8月村社に列せられ岩地宮とよばれた。

明治16年(1883年)8月社名を諸石神社(両石神社)と改め高皇産霊神、神皇産霊神の二神を祀る。

昭和28年(1953年)祭神を高皇産霊神一神とする。

本殿内に梵天王立像と帝釈天王立像が安置されていることから、梵天さんとも呼ばれてきた。漁の神でもあって、2月28日の例祭は「浦まつり」と呼ぶ。以前はボラ漁が圧倒的に盛んで、このボラ漁船の配置を神前で決め、そのあと各船主の抽選で梵天丸一艘を決める。これは梵天さんの乗る神船で、梵天丸の旗幟を1年間かかげ、ボラ漁に最も良い位置に船を置くことができた。

殿内に俳句額、文政8年(1825年)の絵馬があげられている。

昭和11年(1936年)4月15日付の境内立木調書が残されており、40数本が記録され荘重な神域を形成していたと思われる。

境内の石積み、玉垣は土地の長磯石で美しく積まれ、イチョウは町指定天然記念物である。往時若者達が力くらべをした力石が4個残っている。また明治から大正にかけてブリ網を始めたり、サバの大漁に貢献した長嶋順三郎の記念碑がある。

力石 長嶋順三郎の記念碑
力石 記念碑

 例祭日

2月28日 春祭

10月18日 秋祭

昔は11月28日にも秋祭りが行われていた。

 例祭日の行事

かつては両日とも神事の後、ねり太鼓などが出ていたが戦後中断、現在は10月は神事、2月は神事と神楽を奉納する。

 殿宇

拝殿 造立期不詳

覆殿 享和2年(1802年)6月12日造立

本殿 天明3年(1783年)9月27日造営

境内社

昔は金比羅神社 大瀬神社の石宮二社があったという。

 社宝

イチョウ 町指定天然記念物(目通り7.5メートル)

 棟札

一 寛永4年(1627年)9月28日 造立

二 寛文元年(1661年)11月 造立

三 延宝5年(1677年)造立

四 元禄2年(1689年)造立

五 元禄10年(1697年)11月 再興

六 明和7年(1770年)4月 造営

七 天明3年(1783年)9月27日 造立

八 享和2年(1802年)6月12日 遷宮

九 昭和29年(1954年) 拝殿屋根改修

参考文献

松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編