公開日 2020年12月03日
所在
松崎町岩科南側1623
祭神
応神天皇
由緒
八木山の氏神で、社殿の前は県道、その向うに岩科川が流れている。伝えられるところによると往古は社殿も道路も川の向う側にあったとのことである。
本殿は両扉で八幡宮と若宮八幡宮が合祀されている。
八幡は日本の神々の中で最も広く信仰されている神の1つである。祭神を応神天皇とする説は奈良時代末期に成立しており、平安末期に岩清水八幡として勧請され、伊勢と並べて2所宗廟と称せられた。清和源氏は天皇家の血統として八幡を氏神としてあがめ、鎌倉幕府は鶴岡に八幡を勧請して守護神とした。従って、その家人である武士らもこれにならない所領、荘園に別宮、末社を設けるものが多く、八幡信仰が一般の間にも広がるようになった。またこの神は、最も古く仏教と習合し、八幡大菩薩の名で民衆に親しまれた。
「人の国よりは我国、人の人よりは我人」という託宣を通じて、信仰する者を必ず守護することの信仰が特に強かった。
本社の草創はつまびらかでない。記録によると天正4年(1576年)の朽ちた棟札があったこと、宝暦11年(1761年)に氏子等が近郷を勧進して再興造営したことが知られる。
伝えられるところによると、祭神応神天皇は深夜白馬にまたがり村内の安全を見回ったとのことである。
拝殿に天保6年(1835年)の俳額や和歌の額などがあげられている。また、境内に六拾貫余(225キログラム余り)の力石があり、天明3年(1783年)の刻字がある。四拾貫余(150キログラム余り)のものもあったというが今は不明。かつては若者がこれらの石で、力くらべをしたという。
例祭日
10月17日
大正末期頃までは1月17日であったが、寒い時期なので10月とした。
例祭日の行事
境内に土俵をつくり、相撲が催されていた。昭和28年(1953年)が最後で、以後行われていない。
殿宇
拝殿 大正15年(1926年)3月17日造立
覆堂 大正15年(1926年)3月17日造立
本殿 天保13年(1842年)4月造立
境内社
三峰神社 石宮一社(社名不詳)
社宝
八幡神社のケヤキ 町指定天然記念物(目通り4メートル)
棟札
13枚 八幡宮、若宮八幡宮ともに同年月日同文である
一 宝暦11年(1761年)9月 遷宮
二 天保13年(1842年)4月 遷宮
三 天保13年(1842年)4月 遷宮棟札記
四 嘉永6年(1853年)9月 鳥居造立
五 明治32年(1899年)1月17日 再社維持資金
六 明治43年(1910年)7月10日 祈祷
七 大正5年(1926年)3月17日 拝殿覆殿造立
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編