公開日 2020年12月03日
所在
松崎町江奈742
祭神
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
由緒
松崎海岸(海水浴場)の北側に突出した高さ30メートル余の巨鯛島に祀られている。社名の厳島は祭神「いちきしま」のなまったものといわれる。祭神はまた、弁財天に擬せられている、弁財天はもともとは河川を神格化したもので、吉祥天と共にインドで最も尊崇された女神である。七福神の一神として福徳賦与の神として信仰されている。当社も「弁天さん」として親しく尊崇されている。
創建は定かではないが、豆州志稿では大永5年(1525年)の札ありとしている。所蔵の板札に大永甲申4年(1524年)5月11日付で、仏諸小太郎が、那賀の西方寺の阿弥陀を修理した、と記されたものがある。これが南豆風土誌の大永5年再建設と関係あるかも知れない。
また増訂豆州志稿の船寄神社の記載に、「初宇古代島(巨鯛島のこと)ヨリ此地ニ遷座ストイウ」とある。これによると船寄神社の跡に当社を祀ったものであろう。棟札は13枚あり、多くは10年にみたない期間に次の棟札があがっている。これは氏子の信仰の深さを示しているものであろう。
松崎町一帯は古くより相撲が盛んであり、当社でも弁天相撲と称して奉納相撲が盛大に行われていた。社殿内に天正14年(1586年)浜勇栄治が大関に叶うという奉納額や弓取りの弓があげられている。奉納相撲は戦後しばらくまで行われていた。
平成4年(1992年)4月3日に60年ごとの開扉が行なわれた。巨鯛島のウバメガシ群落は町指定の天然記念物である。参道の傍らに、銭洲漁場の発見者稲葉半七の顕彰碑がある。
巨鯛島は陸続きの島で、かつての南川は鳥居の前を流されていたので、朱塗りの太鼓橋を渡って参拝していた。昭和40年(1965年)頃島の鞍部を掘削して南川を外部へ流したので、今は太鼓橋もなく往時の風情はない。
例祭日
4月3日
例祭日の行事
奉納相撲が盛んであった。戦後しばらくは続いていた。
殿宇
拝殿 なし
覆殿 造立期不詳
本殿 享和元年(1801年)12月造立
社宝
ウバメガシ群生 町指定天然記念物(最大目通り2.85メートル)
棟礼
一 承応2年(1653年)11月22日 修理
二 天和2年(1682年)3月12日 修理
三 元禄10年(1697年)7月1日 奉経営
四 宝永2年(1705年)遷宮
五 寛保2年(1742年)3月 造営
六 寛延2年(1749年)11月 修造
七 宝暦5年(1755年)6月 御経奉納
八 明和元年(1764年)8月 拝殿造営
九 明和8年(1771年)1月27日 再興
十 明和9年(1772年)3月 遷宮
十一 享和元年(1801年)12月 本社造立
十二 文化6年(1809年)3月 不詳
十三 明治31年(1898年)10月 鳥居再建
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編