公開日 2020年12月02日
所在
松崎町大沢182
宗派
臨済宗建長寺派(帰一寺塔頭)
創建
文明13年(1481年)
本尊
観世音菩薩
沿革
寺は、大沢の中央那賀川沿いにある。登り口正面に、「かさ地蔵」と呼ばれる端正な地蔵尊が立ち来訪者を迎えてくれる。
境内庭に大きなモクセイが一本。寺は近年まであった庫裏は取り壊されて、間口4間、奥行き4間の本堂のみである。
間創は文明13年孤峻(延徳2年示寂)といわれ、本尊は観世音菩薩である。長い寺の歴史を伝えるものはないが、墓地の片隅に並ぶ僧侶の墓にその一端がうかがえる。
當庵中興貞山良公首座禅師
正徳元卯天一二月初八日(一七一一年)
癸機真育主座
享保四亥天一一月八日(一七一九年)
月耕塔文政五午閏正月六日(一八二二年)
武州多摩郡平沢村前住広済寺 示寂當山
棟嶺全梁主座
天保一一子年三月二四日(一八四〇年)
透玄自得主座
嘉永六丑年八月二〇日(一八五三年)
玉堂玄宝首座
明治一八酉年六月七日(一八五五年)
瓊道恵瑞首座禅師
紀伊国西牟婁郡田野井村天徳寺快巌和尚の徒弟平井氏之出
大正二年十一月十六日没行年六十九(一九一三年)
塔頭(出先の寺)の小さな寺、住職は居たり居なかったりの状態であったのであろう。その数は少ない。また恵瑞以後の墓は見当たらない。それからは本山帰一寺の住職が兼務したものであろう。
墓地の中央に一際目立つ立派な墓群、大沢の大屋依田家の墓所で、同家の家紋と寺の紋は同一の「丸に橘」である。当寺の開基にかかわった事を示すものであろうか。
本堂裏山の中腹に、小さな愛宕堂がある。昔大沢の火災鎮護の神として愛宕山(堂山とも呼ぶ)にあったが、明治の廃堂政策により6年廃され、本尊は玉林寺の須弥檀に安置されていた。
以来20年余りたった明治26年(1893年)、再建を願う大沢区の人々の手によって、ここに堂が再建され本尊は遷座されたのである。
境内堂宇 本堂
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編