渡辺要と長者ケ原牧場

公開日 2020年12月01日

渡辺要は安政2年(1855年)3月15日、大沢大屋依田善右衛門の四男に生れ、明治5年(1872年)17歳の時金沢大屋渡辺真三郎の養子となった。家業の醤油製造のかたわら、畜牛10数頭を飼育し繁殖を図っていた。

生来進取の気像に富み、郷土の産業開発には畜牛を盛んにすることだと考え、明治37年(1904年)賀茂郡畜牛組合設立を提唱し、これが認可されると組合長に当選した。

明治40年畜牛改良の必要を痛感し、洋種牛を購入するため単身米国に渡った。この時の旅券下付願県知事のシカゴ総領事宛依頼状等渡辺家に残っている。旅券下付願には往復旅費滞在費1,000円、畜牛購入費として携帯金7,000円で、旅行期間は6ヵ月となっている。北米合衆国ウイスコンシン州とオレゴン州を旅行し、10月8日ワシントン州スポーケン町のジョンヱル、スミスからホルスタインの種牛7頭を購入(登録証現存)した。しかし、帰路暴風雨に出合い、内3頭は死亡した。帰ると4頭を以て長者ケ原に牧場を開設し、住宅一戸と牛舎を建設し夫婦で営み、常時使用人を入れて生乳販売やバター製造を行い、繁殖にも努力し多い時は12頭だった。要は、大正9年(1920年)66歳で没したが、あと稲葉孝三氏(山口)が継ぎ、大正12年ついに廃牧した。

 

参考文献

町政施行100周年記念誌 郷土の先覚者たち(平成13年2月 松崎町発行)