嵯峨山 永禅寺

公開日 2020年12月01日

永禅寺

所在

松崎町岩科北側1312-1

宗派

臨済宗建長寺派

創建

貞治3年(1364年)

本尊

釈迦如来立像

安置仏像

達磨大師坐像 大権大師坐像 弘法大師坐像 弘法大師坐像 不動明王立像

沿革

寺の本尊釈迦如来立像は、西の京嵯峨野の清涼寺の釈迦如来と同木同作といわれ、高尾山神護寺の文覚が当伊豆に流された時(承安3年・1173~治承2年・1178年)持仏とし護持してきた。そしてこの地を訪れた文覚は、西京に似た景色を愛でて嵯峨野と名付け、一宇を造り之を安置したものと伝えられている。

その後、建久年間(1190~1198年)に一寺を建立して、永善寺と称する真言宗の寺となった。しかし、建武年間(1334~1337年)に焼失、それ迄の記録は総てを失い、小さな一宇を残すのみとなった。

室町時代の貞治3年(1364年)高僧寂室が伊豆を遍歴した折り、本尊の霊仏を拝して寺の再建を志し、村々を回り浄財を集めて、信徒もまた師の志を助け喜捨をした。そして寺を建て嵯峨山永禅寺と改めると共に、臨済宗に改宗、建長寺末となった。そのため寂室が開山となった。寂室は後江州(滋賀県)の名刹永源寺に移ったという。

御朱印地については、源頼朝が武運興隆の祈祷料として、寺領100石を寄進したというが、其の後寺の衰微でそれを失い、除地10石一斗の御朱印地を受け、明治2年(1869年)新政府に返納した。

現在の堂宇は本堂・庫裏共に文化3年(1806年)の建立で、本堂は間口8間半、奥行き6間半、庫裏は間口5間、奥行き10間の規模である。

山門の右手には、高さ3.6メートル町内でも最も古い宝篋印塔がある。その刻文の末尾に

  天保七丙申年三月造立之

 嵯峨山永禅寺現住貞田龍 謹誌

 発起 福昌寺安居大有玄澄

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参考文献

松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編