富貴山 宝蔵院

公開日 2020年12月01日

所在

松崎町門野173-1

宗派

曹洞宗(普門院末)

創建

大同3年(808年)

本尊

地蔵菩薩

安置仏像

道元禅師倚像 螢山禅師倚像 制咤迦童子立像 矜羯羅童子立像 弘法大師座像 弘法大師立像 清安禅師像 乗船観音立像 不動明王立像 達磨大師倚像 大権修理菩薩倚像

沿革

昔は参詣道、男坂、女坂の分岐点付近により男坂に沿って、大きなスギが延々と境内まで続き、その下に寺までの距離を示す地蔵群がところどころにあって、正に霊場の雰囲気があった。この杉並木も昭和19年(1944年)、惜しくも総てが切り倒され、現在開山像脇にただ1本残すのみとなった。半世紀たった今でも、朽ちてはいるがその根株が点々と残り、最大の株は、(分岐点土橋の手前)差し渡し2メートルもあり、周囲は6メートルをゆうに超えるところから樹齢3~400年の大木であったと思われる。

寺は海抜550メートル余りの富貴野の中央に位置し、西を向いて堂宇が配置されていた。

伝えるところによると延歴19年(800年)この地に分け入った空海が、高野に劣らぬ霊地として一宇を建てたとされている。その時空海が遺したと伝えられる高さ79センチ、幅43センチの笈が残されているが空海は歓請開山であろう。

のち僧岩仲が開基として堂宇を建立して、真言宗の道場、地蔵金剛宝蔵蜜院と称した。

本尊は地蔵菩薩で、以来文明の頃(1469~1486年)まで、伊豆第一の山岳仏教の霊地として栄えた。

江戸時代の中期まで、庭に弘法大師手植えと伝えられるモクセイ(モッコクともカツラとも書かれている)の巨木があったという。

 

富貴山金剛蜜院棟礼

幅6.1センチメートル長さ27.3センチメートル

 山門栄昌大盗讃消 万民快楽宝祚長久

 天下泰平国家安全 奉棟礼 八大竜神

 奉棟礼八大竜神宮  護法諸天善神□ 

 維時 治承二年八月二十日

 当山現住 金覚阿闍利謹敬白

 

治承2年(1178年)、平安時代末期の棟礼(町内最古)で、時の住職は全覚であった。

その後密教は衰え、堂宇もまた大破していたが、文亀(1501~1503年)の頃川津逆川村(河津町逆川)の普門院四世清安が来て、堂宇を再建すると共に曹洞宗に改宗、寺号も宝蔵院と改めた。

 

棟礼二 幅9センチメートル、高さ36.8センチメートル

         白山妙理大権現

 一奉棟礼弘法大棟      山門伽藍諸仏菩薩諸天大善祈処

         竜天護法善神

 

 維時文亀六年三月十五日 再建謹造

  当山中興 清安首座敬白

 

清安の再興を記録する貴重な棟礼であるが、暦の上では文亀6年は存在しない。永正3年(1506年)に当たる。

以来、寺の衰微は繰り返されたであろうが、戦国・安土桃山・江戸時代山深い霊場として、遠近の人々は参詣のために山に登った。その参詣道が一色口、また、白川口、江奈口、門野口と多くあった為、紀伊の高野山になぞらえて富貴野の七口といった。

また、寺にあった梵鐘は、正徳4年(1714年)に鋳造されたもので施主は西円坊。この西円坊は赤穂浪士の一人、寺坂吉右衛門であったと伝えられている。惜しくも昭和19年(1944年)太平洋戦争のため供出されて今はない。

第二次大戦後は、訪れる人も途絶えて、山深い寺は次第に荒れていった。

戦争中戦後の伐採により、周りの山を失った寺は風雨の影響をまともに受けるようになり、昭和24年(1949年)のパトリシア台風によって山門が倒壊、昭和34年(1959年)8月14年の風台風で本堂も半壊、復旧困難なため取り壊されて、今は山門・本堂ともにその礎石を残すのみとなった。

山門のあった参道に並ぶ苔むした石仏群に、そして大きなスギの下にたたずむ開山堂に往時をしのぶことができる。

参道手前小さな窪地に寺の鎮守白山神社がある。

棟礼

 表

      井頭大弁才天

      春日大明神

      天照皇大神宮     火盗

 奉請当山鎮守白山妙理大権現山栄昌

      八幡大菩薩      潜消

      日本大小之神祇

      八大龍神王

 

 裏

 干時安政四丁巳歳

      三月十五日

 当山二十四葉英如林叟

       再建之

     大工 築地邑 弥七

 

この棟礼から、社は安政4年(1857年)二四世英如の代に、再建したもので、大工は仁科築地の弥七であった。周りを大きな木で覆われて湿度が高いため、度々改修・再建が行われた事が数枚の棟礼に記録されている。

寺の付近の地形は、小さいながら台地状をなし、かつては富貴野と呼ばれる野原であったが、第二次大戦後、一時開拓地となりそしてその後植林され、現在スギ・ヒノキの林となっている。この林を「二一世紀の森」と名付け、多くの人が自然に親しめるよう幾つかの施設が作られている。

 

 境内堂宇 開山堂 庫裏 物置

 

 歴代住職 曹洞宗に改宗以後

      開山清安和尚 二世梅叟和尚 三世天翁和尚

      四世賢叟和尚 五世松翁和尚 六世仁叟和尚

      七世右山和尚 八世巨岳和尚 九世廣寶和尚

     一〇世齢嚴和尚 一一世徳翁和尚 一二世喩天和尚

     一三世祖門和尚 一四世心眼和尚 一五世鐵外和尚

     一六世陽山和尚 一七世正道和尚 一八世是峰和尚

     一九世萬嶠和尚 二〇世大岡和尚 二一世不詳

     二二世大透和尚 二三世碩雲和尚 二四世英如和尚

     二五世仙外和尚 二六世昭山和尚 二七世泰善和尚

     二八世善応和尚 (以後無住)

 

付記

一 昭和初期まで、3月23日~24日(本尊大祭)7月23日~24日(大施餓鬼会)との2回の大祭があった。

その日は遠近の参詣者で賑わい、門野の若者や子どももお札を売ったりその他の手伝いをした。僧も30人程集まったという。

二 寺の守護神白山神社の棟礼

 弘化三年(1846年)八月 屋根再建

 慶応三年(1867年)一一月 遷宮

 明治四一年(1908年)三月 遷座

 大正一五年(1926年)七月 再建

 

参考文献

松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編