公開日 2019年03月07日
牛原山の山麓にある神社です。
所在地
静岡県賀茂郡松崎町松崎28
祭神
彦火火出見尊(ひこほほでのみこと)
住吉三柱大神(すみよしみはしらのおおかみ)
龍谷水神(りゅうこくすいじん)
由緒
かつて、この地には大山祗神の系統である石火族が住んでいました。昔は山そのものを神としてまつる場としたため社殿なく、牛原山の嶺三本松と呼ばれるところが、祭りをする自然の祭場でした。年が移り土地の発展に伴い、此処に神社が設けられ、産業の守護神でもある彦火火出見尊を石火宮とたたえて尊崇してきました。
また、この神社を俗に唐大明神と称する起源は、4世紀に新羅征伐の時、この国の人が皇后の御船を守り、長門の豊浦に留まり後にこの松崎に来て、ここに唐(新羅)征討の神功皇后ゆかりの住吉三神を鎮座したためであるといわれています。
原始の頃より、山の中の祭から始まっているため、創建は不詳です。
鎌倉時代の建暦元年(1211年)、松崎下宮鰹船免許状が残っており、ここには当時「下宮」と称したことや、「仁科庄松崎」の名も出ており、仁科は西伊那の約であるとの説があります。
「いな」は新羅の帰化人で、造船術に巧みな猪名部一族がこの地にやってきて、船舶の建造に従事したことをもって、その集落を猪名といっていたとの説などがあります。ところが、後に伊那と変わり港湾を伊那湾と呼び、伊那湾の下の方にある当社を伊那下神社と称するようになりました。
伊那下神社の称号は宝暦10年(1760年)の神号額に初めて出てきます。「伊那下」を公称したのは、寛政12年(1800年)秋山富南の豆州志稿からで、近くは江川坦庵が「伊那下」の額を書いています。
二祭神を祭るのは山と海の両面にわたる原始信仰に発したものであり、本社の氏子は彦火火出見尊の石火宮(山を中心)と唐大明神の住吉大神(海を中心)とに分かれていて、松崎東区の一部・中宿南区等牛原山に寄った方面が石火宮氏子、残りの東区・中区・北区の海岸寄りが唐大明神の氏子です。
社宝
- 松藤双鶴鏡(鎌倉時代作)国指定重要文化財
- イチョウ(樹齢約1000年)県指定天然記念物
- 釣燈籠(江戸時代作)県指定文化財
- 萩簿蝶鳥鏡(はぎすすきちょうちょうきょう)(平安末期作)
- 七宝繫鶴鏡(室町時代作)
御朱印
松崎町を含めた西伊豆地域で、宮司さんが常駐している神社は伊那下神社だけとなっており、神社の御朱印をいただける貴重な神社です。ここでは伊那上神社と伊那下神社の2社の御朱印をいただけます。1枚300円。
文化財等
松藤双鶴鏡(まつふじそうかくきょう)
鎌倉時代作で、中央で名の知られた鏡師の制作で、国指定重要文化財。現在、東京国立博物館に保管されています。
イチョウ
境内にある御神木で、樹齢約1000年のイチョウで県指定天然記念物。その昔、沖を行く船が、秋になり黄葉した姿を目印にしたとも言われています。目通りの太さ8m、樹高22m、枝張り25m。 他の2本のイチョウと合わせ「親子イチョウ」として親しまれています。
釣燈籠
江戸時代の慶長14年(1609年)、大久保長安が寄進した釣燈籠で、県指定文化財。
神功皇后(じんぐうこうごう)と武内宿禰(たけうちのすくね)
松崎町出身の漆喰鏝絵の名工、入江長八の作品で、町指定文化財。
年中行事
節分祭(2月3日)
秋まつり(11月2~3日)
- 11月2日の夜と3日の夕方に境内舞殿で、式三番叟が奉納されます。
神明水
境内には健康長寿の泉と言われる「神明水」が湧いており、遠くから水を汲みに訪れる人も多い。
精霊の杜
境内には、宮司さんのチェンソーアートによる精霊たちが、訪れる方を迎え入れています。
参考文献
松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編