公開日 2019年02月14日
本堂 | 山門 |
沿革
室町時代の応永21年の開創で、開山は岌嘆(きゅうたん)で当時は真言宗の寺であったと言われる。5世に、江戸芝増上寺の観智国師の高弟であった源誉如替が来て、浄土宗に改宗するとともに、増上寺末の寺とした。当時の寺は、現在の常盤橋南側にあって、大橋通り・中瀬通りの辺りを含めてその寺地であったと言われています。元和2年(1616年)同地で火災に遭い焼失し源誉が再興した。
6世住誉の代、慶安元年(1648年)徳川家光より10石2斗の朱印地を受けた。その中に向浜の大部分が含まれ、当時45戸の農家があったという。
8世一誉傅的の代、貫文11年(1671年)8月21日、後に「亥の大水」といわれる大洪水が起き、那賀川沿いの堂宇はすべて流失した。再建に当たっては、洪水の危険のない現在地に寺地を移して建立した。
その後明和7年(1770年)闡誉教阿の代に寺は再び火災にあった。宮原に起きた火災は、折からの風に煽られ瞬く間に寺も類焼、堂宇はもちろん、寺の大切な過去帳を含め、古い記録のすべてを失ったという。
それから7年後の安永6年(1777年)、17世最誉順海の代に本堂、庫裏の再建が行われた。本堂は間口7間半、奥行き7間瓦葺きの堂々たる建築である。
所在地
松崎町松崎52-1
創建
応永2年(1414年)
伊豆88ケ所霊場
「伊豆88ケ所霊場」の第76番札所
納経所
本堂に向かって右側
山門
境内入口に赤色の二階造りの山門があるが、これは鐘楼を兼ねた山門で、第二次世界大戦までは、朝夕に松崎の人々に時を告げた梵鐘があった。梵鐘は昭和19年(1944)の夏、戦争のため拠出して今はない。
経堂
山門の東側にある経堂は、中に回転する六面体の大きな輪蔵があり、輪蔵には小さな引き出しがたくさんついていて、その中に経本が納められている。輪蔵を回しながら拝むと、経を読経した功徳があると言われている。各面の柱の上部に獅子頭の彫刻が取り付けてあり、棟梁彫刻師の初代石田半兵衛の作品と伝えられており、町の指定文化財となっている。
経堂 | 輪蔵の彫刻 |
33観音
裏山の岩には高さ30cmほどの小さな観音石仏33体が立っている。いつ頃の建立かは不明であるが、一説によると江戸時代に「ぬりや」と呼ばれた依田家の先祖が、西国33観音を巡拝した記念に建立したと言われている。
庭園
本堂裏の庭には、清水の湧く池があり、江戸時代伊豆の三名園の一つに数えられるほど見事なものであったが、戦時中に防空壕を掘ったりして、かつての面影は薄れている。
参考文献
- 松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編