公開日 2020年12月04日
石部棚田は、伊豆半島の西海岸に位置する静岡県松崎町にあります。標高120~250mに広がる約370枚、4.2ヘクタールの田んぼは、東日本では珍しい石積みの棚田。眼下に駿河湾を一望でき、晴れた日には、富士山・南アルプスを望むことができる絶景の棚田です。
平成12年(2000年)に、耕作放棄され、茅で覆われていた4.2ヘクタールの棚田を再生し、集落活性化の起点として活用されています。
平成22年(2010年)10月22、23日には、第16回全国棚田(千枚田)サミットが開催されました。
棚田定点カメラはこちら(観光協会ホームページ)
※松崎町観光協会ホームページ内「今日の棚田」からご覧になれます。
収穫祭 |
棚田の夕景 |
石部地域の概要
石部地区は、町の南西部、市街地から6キロメートル駿河湾沿いに南下した入江と沢沿いに展開しており、急峻で耕地が少なく、集落の南東側には、戦中から戦後にかけて耕してきた棚田が広がり、郷土の歴史遺産となっている。
また、当地区は、限られた田畑を耕作し、定置網漁を行う半農半漁集落であり、現金収入の多くを炭焼きに依存してきたが、他地区と同様、昭和30年代から観光業にシフトし、海、山、温泉、民宿と観光の要素が重なりあった暮らしを築いてきた。石部地区の農業は、急峻な地形及び温暖な気候を利用した柑橘栽培や桜葉の生産、棚田での米作りや自家消費野菜の生産が主に行われてきたが、近年の農家の高齢化、担い手不足、猿・イノシシなどの有害鳥獣被害の拡大などにより、農地の休耕や耕作放棄が進んだ。
さらに、地区の主要産業である観光民宿業も旅行形態の変化により宿泊客の入込みが低迷し、地区の活力は低下してきた。
地域づくりの動機、背景
先人の苦労と荒廃した棚田を見て
石部の棚田は、古くは江戸時代から昭和30年頃まで、約18ヘクタールで連綿と水稲耕作が続けられてきた。歴史的文献に棚田の記録が洗われたのは、文政7年(1824年)、いまから約190年前のことで、この年に大規模な山津波が石部の棚田を襲い、ほとんどの棚田が崩壊している。記録によると棚田の年貢は免除され、約20年もの長期に渡る過酷な作業により、現在の石積みの畦畔を築きあげており、復元してきた先人の努力や苦労が今も偲ばれる。
このような歴史を持つ石日の棚田は、駿河湾を眼下に富士山を眺望できるすばらしい景観に恵まれていたが、高度経済成長の時代変化とともに減反政策や農家の高齢化・担い手不足、農作業の苦しさ、生産性の低さにより荒廃の一途をたどり、5年から20年も放置された結果、耕作放棄率90%以上の山林原野化した状態となっていた。
石部の人々の心には、かつて、棚田が地域の活気の源であり、駿河湾の海から眺めた稲穂が黄金色に輝く棚田の風景が焼き付いていたが、時代の趨勢とともに放棄され荒廃していった棚田を見るたびに、残念な思いが広がっていた。
平成8年、棚田の復元・保全への道は暗中模索の状態であったが、当時の石部地区の区長(高橋周蔵氏)が、町から棚田保全の機運が全国的に高まっているとの情報を受け、これが以後の活動の伏線となった。
平成10年になり、石部の棚田地域に農作業道やふれあい交流施設などを整備し、棚田の復元を核とした地域づくり、地域活性化活動をやってみないかとの話がもちあがり、これ以降、棚田保全と地域づくりに取り組むこととなる。
苦労を重ねた集落の合意形成
高橋区長は、早速事業推進の合意を得るため、平成11年2月の地区総会に議題として提案したが、結果は散々で、「棚田は採算が合わず農作業が大変」「何で今さら棚田なのか」など、地区住民からは批難轟々であった。棚田を単に「生産の場」と捉えれば、「効率の悪い棚田を、なぜ苦労して復元しなければならないのか」というのは正論と言えた。高橋氏は、批難が集中することは分かっていたとはいえ、「大変なことを始めてしまった」と当時の心境を語る。
しかし、「活力の失われている石部の現状を見たとき、石部が今後どうなってしまうのか。地域を少しでも活気あふれるものにしたい。」との一念から、住民の合意を得るための説得を始めた。「棚田を復田し、棚田を核とした日本の原風景ともいえる里山の豊かな自然景観を取り戻し、都会の方々とのふれあい交流の場として、地域経済、産業の活性化の一助にしよう。」と、折に触れ住民に訴えつづけた。区民の中には絶対反対の意見も多く説得は難航したが、将来に対する危機感は誰しも持っていたことから次第に呼応する住民が増え、苦労の末、「ふるさと水と土ふれあい事業」と「棚田保全」の推進案が住民の合意・総意を得られたのは、初めの総会から3回目、5ケ月が過ぎた平成11年6月の臨時地区総会であった。
区民の総意を得た事業地には、棚田の面積が4ヘクタールで24人の地権者がおり、事業の施行承諾と整備後の管理(耕作)を行うことについて了解をお願いしたところ、「ご先祖様に申し訳ないと思いつつも田んぼを荒らしてしまった。区で管理していただけるなら有り難い。」と土地の無償貸与に応じてくれた。
平成11年8月、石部の棚田が「静岡県棚田等十選」に認定されたことなどにより、棚田に対する関心がいよいよ高まり、棚田を将来に残すべき貴重な地域資源と位置付けられた。
そして、行政や地区観光協会などを含めた「石部地区棚田保全推進委員会」を立ち上げ、棚田保全と地域の活性化推進の第一歩を踏み出すことになったのが、平成11年11月のことである。
協働で棚田の復元と保全活動
棚田の復元・開墾作業は、正月のお屠蘇気分も醒めやらぬ平成12年1月4日の朝から始まった。作業には、大勢の区民や支援団体である「しずおか棚田くらぶ」の協力で、総勢約300名を超えるボランティアにより、悪戦苦闘の約100日間かけて約4ヘクタールの棚田に生い茂った雑木、雑草の刈り取りを行った。刈り取った雑木、雑草を燃やす焚き火の煙が棚田一面を覆い、いかに荒廃していたかを改めて実感させるものであった。
5月には当委員会や地区住民協力者とともに約15ヘクタールの棚田の耕起・代掻きを行い、十数年ぶりによみがえった田んぼで、「しずおか棚田くらぶ」や地区住民、行政の支援者の方々とともに記念すべき田植えを行い、互いに喜びを分かち合うことができた。
その後も復田作業は続き、平成13年の春には約60a、平成14年は10a復田し、復活を期した日から3年、約85の棚田が甦った。この間、農道920m、ふれあい交流棟、農機具・米保管棟や水車小屋が整備され、農作業労力の軽減や都市住民との交流促進の場が確保された。中でも、自然のつくりで風景にとけ込んでいる茅葺きの作業小屋は、当委員会が「茅葺屋根を作る技術を伝え、残したい」との考えから老人会に協力を依頼し、1ケ月ほどで完成させたものである。
静岡県初の棚田オーナー制度を開始
平成14年5月18日には、静岡県で初めての棚田オーナー制度による募集を行い、60組200人余の家族や、46組のトラスト会員、県や町職員、地区住民が一同に集まり、「赤根田村百笑の里」(=保全計画棚田地区のこと)が開村した。村長には高橋委員長が就任し、棚田は終日賑いの声が満ち、地元住民やオーナーの方々が共に田植え作業に汗を流した。また、当日、近隣の市で行われたイベントに出席していた石川静岡県知事が「赤根田村百笑の里」を突然訪れ、地元住民へのねぎらいの言葉やオーナー会員への感謝のメッセージを述べるとともに、地元小学生との田植え作業にも参加し、開村式に花を添えた。
ふるさと水と土ふれあい事業(県営事業)
平成12年度から2ケ年かけてこの棚田地区に総事業費1億5千5百万円をかけて、農道、ふれあい交流施設、棚田石積み整備等21世紀に残すべき貴重な資源である棚田地区の総合的整備を実施しています。
基本計画策定一式 3,000千円
農道工 L=920m 92,000千円
交流施設等整備(3棟)60,000千円
石部棚田展望台
眼下に石部の棚田、駿河湾、遠方には富士山・南アルプスを見渡すことができる富士山撮影スポットです。
石部棚田は、平成29年(2017年)に環境省が選定した「富士山がある風景100選」の一つとなっています。
展望台からの眺望