謹申学舎と保科頼母

公開日 2019年01月08日

明治5年(1872年)3月、西豆一帯の子弟教育のため、近隣名主依田佐二平、佐藤源吉、福本善太郎、奈倉惣三郎が相談し郷学校として、謹申学舎を旧江奈陣屋跡を利用し開校した。

塾長に、旧会津藩家老西郷頼母(保科と改姓)を招き漢学を、旧静岡藩士山川忠興が英語、他に数学も教授した。

伊豆で英語の教授は最初であろう。

塾舎には旧代官屋敷を使い、遠方生徒の寄宿舎に旧下役屋敷が使われ、生徒100余名が集った。十勝開拓の依田勉三と弟善吾、遠洋漁業功労者石田房吉、2代岩科村長鈴木忠兵衛、大沢大屋依田新四郎等のほか多くの人材が学んだ。しかし明治6年、公立小学校が開校されると財政的都合で翌7年廃止された。岩科村名主佐藤源吉は、これを惜しみ常在寺に移したが間もなく閉じた。福本家金銭出入帳に、保科先生月俸4両等の記録がある。頼母は明治元年の会津戦争の時会津藩家老だったが、講和論者のため追われて五稜郭戦争に参戦、敗れて自訴し、のち許されて伊豆に来た。のち日光東照宮袮宜等の職につき、明治36年(1903年)74歳で没した。会津激戦最中に妻子一族21名が自決している。

頼母の妹みをは、岩地(文左)出身写真師鈴木真一の後妻となり、頼母の養子四郎は柔道家で、姿三四郎のモデルである。

 

参考文献

  • 町制施行100周年記念誌 郷土の先覚者たち(平成13年2月 松崎町発行)

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