はしがき

公開日 2016年02月04日

弓なりに続く砂浜に、裸の足の感触が心地よい。
伊豆の脊稜はまだ黒々としたシルエットを作り、明けはじめた東空が薄いピンク色に染まってゆく。
「ザザー」
と、打ち寄せては返す波も穏やかだ。
波頭をなでてくる甘い潮騒が、髪の先を微かにほつれさせて、流れてゆく。
砂浜のはずれの港もまだ眠っている。
「ポンポン、ポン、ポン・・・」
入江の先から、微かなエンジンの響きが聞こえてきた。
朝のまだ明け切らない入江の口に、漁船の影が浮かぶ。
松崎の夜明け-。

まもなく漁船が港へ入ってくると、魚市場は、活気のある動きをみせ始め、松崎の1日が始まって行く。
浜の北のはずれに、黒々とした塊を見せていた弁天島も、朝の明るみの中に、しっかりした姿を現してくる。
弁天島の影にうずくまるように、ほの白い建物を夜明けの暁闇に浮きたたせていた公共の宿伊豆まつざき荘も、うすみどりに塗った建物の色をはっきりさせてくる。
伊豆半島の西海岸、那賀川と岩科川が合流した河口に開けた古い港町の松崎は、伊豆西海岸の観光の拠点として、町ぐるみ、
〈花いっぱい運動〉
を展開している。
商家、民家、旅館、工場を問わず、軒先、玄関をはじめに、道路、空地、畑、川の畔、寺、神社、山裾にまで、目につくところ、四季の花木を一面に植えて、松崎の町へ入ったら、
〈いつでも、どこでも〉
花がいっぱい、と、したい、町の方針である。町役場では職員が休日返上で、先頭に立って、町中の整備にあたり、町民も一体になって、この運動に参加している。始まったばかりだから、まだ十分とはいえないが、
〈長い目で見て〉
育てていきたい、育てたいというのが、町の人たちの気持であり、願いでもあるのだ。

かつて、まだ道路情況もよくなく、交通の不便であった時代の松崎は、沼津からの船便が〈あし〉の主体を占め、奥伊豆の秘境として、旅行者もたまにしか訪れない、忘れられた地であった。
伊豆半島の開発は、中伊豆から天城へ、そして伊豆急の開通によって東海岸方面から急速に進められていった。
古くからの大きな港町としての下田から、石廊崎などへかけた南伊豆の発展も、早くからのものであったが、同じ古くからの港町とは言うものの、松崎の観光面における県外人の間での認識は、ごく最近まで薄かったものである。奥伊豆の秘境としての松崎は、本当の〈旅〉の愛好者にとっては、むしろ大事にしまっておきたい、秘められた地でもあったわけである。
伊豆の開発は、一方では、急テンポである。交通網の発達は、この20年の間に急速度であった。高度経済成長時代の到来と、旅行ブームは観光開発を各地にうながした。その結果、観光乱開発におちいった所も、各地に多くみられた。正常な形での観光面の発達は、喜ぶべきものであるが、それに伴う乱開発は排除しなければならない。
時代の流れの中に、松崎は新しい局面を迎えている。
町の産業が成り立って行くためには、今や、
〈観光は最大の要務〉
となってきている。
観光産業が町の基盤に大きな要素を占めてきている。
〈花いっぱい運動〉
は、そうした表われの1つである。

そしてまた、松崎は、
〈歴史の町〉
である。
〈民話と伝説の町〉
でもある。
松崎のさまざまな史跡や神社、仏閣、民俗、芸能などを探って行くと、興味ある、〈歴史の流れ〉がみいだされてくる。
2つの落人里伝説も残されている。流人の話も残っている。
工人、職人などの、表に現れたもの、陰に埋もれたものなど、土に生きた、〈手仕事の芸術〉も記録される。
大きな歴史の流れのなかに、松崎は、常にいくつかの関わりをみせている。
京都、鎌倉、江戸など歴史の舞台から遠く離れた駿河の南のはずれの地にあって、脇役の道をいぶし銀のような光沢を放って歩いて来ていた。華やかな中央の歩みの陰に隠されて、人々の目から、ともすると忘れ去られた存在となって行くものの、ときにおいて、歴史のなかに重要な役割を示す光芒をみせることもある。私たちの心の底に秘そむ、
〈ロマン〉
とは、歴史の壁に隠されてしまう、私たち祖先の、
〈こしかたの道〉
に思いをはせ、そしてその〈生きざま〉に心を通わせて、歴史の流れに包含され、やがては消えてゆく〈人の命〉を、いとおしく思う心といえなくもない。

ともあれ、「花とロマンの里-松崎町」に身を委ねてみよう。

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