依田家

公開日 2016年02月03日

p0370古くは〝依田ノ庄〟とも呼ばれた大沢の里(大沢温泉)の依田家は、那賀川のほとりに一際目立つ豪壮な庄屋屋敷が、その由緒ある家柄を物語っている。
昭和36年から大沢温泉ホテルとして旅館業を営んでいる。
依田家のルーツは信濃源氏だといわれ、信濃守源為公の6男・依田六郎為実を祖とし、代々、信濃国小県郡依田村(現在の長野県小県郡丸子町)の依田城に居をおく豪族であった。
治承4年(1180)為実の子・諏訪次郎実信は、平家追討の兵を率いる木曽義仲をこの城に迎え入れ、自らは同じ小県郡にある高築地の館へ移り、後に佐久郡の芦田城主となった。

天文年間(1532~55)依田氏は下野守信守のとき甲州武田氏に属し、重臣として用いられ、信守の子・常陸介新太郎信蕃は武田勝頼のために、駿河と遠江の城を守っていた。しかし、元亀3年(1572)徳川家康を三方ヶ原で破った武田信玄が、その翌年信州・伊那谷で病歿。あとをついだ4男勝頼も天正10年(1582)、天目山の戦いで織田信長の軍に敗れ、ついに武田氏は滅亡してしまう。
こうして依田一族は伊豆の松崎へと逃れ、一時は伏倉地区の豪族藤池太郎左衛門宅にかくまわれていたが、やがて人里離れた大沢の里に居を構えた。
現在、大沢温泉ホテル本館となっている依田邸の母屋は、本瓦ぶき約300㎡。
確かな資料はないが、推定によるとおよそ320年前、元禄年間(1688~1704)初期の建築だろうという。
軒先の漆喰塗り、銅板張りの扉など、防火の面にも十分な配慮がなされており、広い土間、その片隅にある炉、自在鍵、どっしりと太い大黒柱、梁が江戸時代の重厚な庄屋建築の面影をよく残している。
昔は庄屋元締めとして、山林の伐採、炭焼き、川を利用して木材や炭を松崎港へ、さらに船積みしなおして江戸へ運んだこともあり、明治4年には11代の主佐二平がここに民間初のフランス式製糸工場(松崎製糸場)を創設、〝松崎シルク〟の名は海外にまで知れ渡ったほどだ。
この佐二平の弟・勉三は明治16年北海道・十勝原野に入植、〝帯広開拓の父〟と称された人。
銀行,海運,製糸業のほか、教育の普及にも力をつくした兄・佐二平とともに、流石名門のほまれ高い。

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