円通寺

公開日 2021年01月15日

所在

松崎町宮内130

宗派

臨済宗建長寺派

創建

貞治元年(1362年)

本尊

正観音菩薩立像

安置仏像

阿弥陀如来立像 如意輪観世音菩薩坐像 千手観音菩薩立像 十一面観世音菩薩立像 不空羅索観世音菩薩立像 聖観世音菩薩立像 如意輪観世音菩薩立像 馬頭観音菩薩立像 

不動明王立像 毘沙門天立像 弁財天坐像 弁財天立像 弘法大師坐像 文覚上人坐像

 沿革

その昔、妙智山・円通寺と称して、観音菩薩(弘法大師の作と伝えられる)を祀る、真言宗の小さな庵が宮内村にあったという。

貞治元年、鎌倉建長寺より東林友丘を請じ、船田帰一寺末として臨済宗に改宗、堂宇を那賀川沿い(伊那上神社前)に建立した。したがって東林友丘が開山となっている。

その後、安土桃山時代の終わりにかけた230年余りは、寺の衰微期間か、寺歴は全く不明である。慶長の頃、二世欽堂(慶長16年示寂)が出て衰微していた寺を再興している。

江戸時代三世遼天の代の慶安2年(1649年)には、3代将軍家光より寺領12石の朱印状を受けた。

堂宇が那賀川沿いにあったため、度々洪水の被害に遭い、また、数度の火災にもあったため、宝永年間七世黙禅の代に現在地に移転、新たに堂宇を造り(記録に人足延べ6,000人)山号も文覚山と改めた。明和5年(1768年)の本山への報告を見ると、

豆州賀茂郡宮内村

文覚山円通寺

一 御朱印地  拾二石余 但御朱印五通

一 御年貢地          高五石

一 本尊          観世音菩薩

一 開山東林和尚並前住之牌等

一 法衣並坐具念珠        壱連

一 檀家            四拾軒

一 過去帳            壱通

一 半鐘             壱口

一 仏前庫下通用之什具品々有之

  支配堂

一 福寿庵

一 本尊 観音大師        壱尊

一 文覚上人像          壱躰

 

江戸時代末期の寺の様子がよくわかる。

福寿庵とは相生堂のことで、元文3年(1738年)に改称している。一説に、治承3年(1179年)当山の奥の院であった観音堂で、韮山に流罪中の源頼朝と文覚上人とが相会して、源氏再興の密議をなしたという。後この堂は相生堂(遭遇堂)と呼ばれていたが、明治の始め廃堂となり、現在は山中に堂址と墓地が残るのみ。堂内にあった頼朝と文覚の像は当山の本堂に移されている。

境内にあった弁天堂は、天保3年(1832年)13世盤山に帰依した馬場宇七が、財産を喜捨し、また、多くの人から浄財を身めて創立したもので、本尊弁財天(木造)と大般若経600巻を蔵している。また、もと境内にあった天神社、稲荷神社、三島神社をも合祀してある。

 

三島神社棟札

 豆州賀茂郡文覚山円通妙智禅寺鎮守

 三嶋大明神歴於年月雪霜宮殿巳及千

 破壊 時現住月岫碩良座本宮殿新脩

 改社地而択吉日良辰遷於宮殿敬永仰

 於覚山繁栄守護之神徳 退 海門隠

 庵老比丘鏡山叟不忍黙辞 打一

   造建再成

 その他

伊豆横道33観音の4番札所

伊豆八十八ケ所霊場の77番札所

60年に1度ご開帳となる本尊は聖観音だが、宝永3年(1706)近くの相生堂から移された如意輪観音をまつってある。

 参考文献

松崎町史資料編 第1集 神社・寺院編