高野山(たかのさん)

公開日 2019年02月13日

岩科川上流にある八木山という集落は、かつて山を焼いて開拓したために、〝焼山〟と呼ばれていました。
その集落から山間へ3kmほど入ると、渓流に面して奇岩の絶壁がそそり立ち、知られざる静寂境があります。ここを高野山といい、その昔、真言密教の修験者の行場だったところで、たくさんの石仏がたたずんでいます。

入口付近の奇岩 案内板
高野山入口 案内板

 

所在地

松崎町岩科北側2671-1-7

本尊

弘法大師

石仏の宝庫

高野山は西伊豆では松崎町門野の富貴野山宝蔵院に次ぐ石仏の宝庫と言われています。数では宝蔵院に及びませんが、多種多様の点では高野山が勝っています。

毘沙門天 草庵跡左手の石仏
毘沙門天 草庵跡左手の石仏

 

名僧にまつわる伝説の地

かつては弘法大師もここを訪れたが、近くの農地から肥料の臭いが漂ってきて不浄なこと、谷の深さが物足りないことを理由に立ち去り、やがて紀州(和歌山県)へ行って高野山を開いた─という伝説さえ残されています。そのいい伝えを裏づけるように、絶壁の中腹の行場「閻魔真行」には、弘法大師像をまつってありましたが、現在では八木山の永禅寺に移し安置されています。さらに幕末のころ、諦然という僧がこの「閻魔真行」で修行、近在を祈祷して歩いたが、霊験のあらたかなことが評判となり、お大師さまと呼ばれて敬われ、信者の数は200人に及んだとか。そして、この地を立ち去るとき、経典や法衣などを地元の田口家へ記念として残していった。同家には、「諦然が三河(愛知県)の人であること、天保元年(1830)に当地を訪れて弘法大師尊像をまつり、およそ1年間参籠し、多くの信者が集まってきたこと…」を記した箱書きもある。また一説によると、建久年間(1190~1199)には文覚上人もここで参籠したといわれ、修行を終えて立ち去ろうとしたところ、上人の衣に野バラがからみついて離れられなくなった。そこで上人は再び岩窟の中に篭って行を続けたという。それ以来、地元の人々は野バラのことを〝文覚バラ〟と呼んでいるそうである。

アクセス

県道南伊豆松崎線で八木山地区を通過し、最初の橋「風早橋」の手前にある左の林道へと入る。

500mほど進むと高野橋のある三叉路(地蔵石仏が石室に納まっている)を左に折れ、高野川沿いに上って、しばらく道なりに行くと、目の前に大きな奇岩が迫ってきます。奇岩付近には案内板があり、そこから10m位林道を進んだ右手に高野山の入口があります。

 

お問い合わせ

松崎町役場 企画観光課
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