
重要文化財・岩科学校は、なまこ壁を活かした社寺風建築様式とバルコニーなど洋風を取り入れた伊豆地区最古の小学校である。
明治12年4月に着工、翌13年9月に完成を見た洋風デザインの印象的な建物で、日本では甲府の旧睦沢学校(明治8年)、松本の旧開智学校(明治9年)などに次ぐ古いものとして知られている。
平成4年11月に2年間の改修工事を終了し、明治13年の形に復元された。
歴史が語りかけている。時の足跡を残しながら。
なまこ壁と洋風建築のおりなす歴史の浪漫・・・
明治12年当時、松崎では村内の教育振興熱が高く、校舎新築のための寄付金が集められた。
「総建築費2630円66銭。うち寄付金4割余」
時の戸長佐藤源吉らにより新築計画が進められ、岩科村大工棟梁高木久五郎、菊池丑太郎のよって設計施行された。
正面玄関に掲げられてある岩科学校の扁額は、時の太政大臣三条実美の書で、その上の龍は入江長八が棟梁の「のみ」をかりて彫ったと伝えられている。
近代伊豆のあけぼのの象徴とも言うべき岩科学校は、我が国建築史上貴重な遺産として、昭和50年重要文化財に指定された。
先人の様々な思いが、永年ここに記されてゆくのである。
入江長八の傑作「千羽鶴」・・・
階上客室の西の間は日本間で、作法や裁縫の授業にも利用されていた。
床の間はのぼる太陽を表現して紅の壁、脇床には緑を配して松を表現している。
欄間には名工入江長八によってほどこされた千羽鶴が、1羽1羽形を変えて描かれており、まるで壁面より抜け出てくるかのように日の出を目指して飛翔する姿が見られる。
この千羽鶴は美濃紙を口に含みぬらし、鏝板の上で漆喰と混ぜ合わせて肉付けし、仕上げたものである。
開化亭(旧岩科村役場)・・・
岩科学校の庭内にある開化亭もとは岩科商社として作り、後に岩科村役場として使用された。
明治8年に建てられた由緒ある建物だが移築復元され、現在は休憩所として利用されており、伊豆独特の土産物や当時使われていた教科書等が販売されている。
玄関天井や西座敷の天井に描かれた漆喰鏝絵は入江長八の高弟佐藤甚三が制作したものである。
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